先日とは打って変わって天空は灰色の雲が多い尽くし、屋根の下に居たとしても場所が悪ければ濡れてしまう、そんな悪天候だった。

「おはようございまーす、酷い天気ですねー」

傘を畳み店の裏口からオーナーに声を掛ける。

「おはよう、本当に凄い雨ね。大丈夫だった?」
「一応長靴履いてきましたけど、傘の意味無かったみたいで・・・服がびしょ濡れですよ」
「あら・・・着替えは持ってきてる?」
「はい、仕事着あるんで着替えます」
「國本さんもまだ来てないし、ちゃちゃっと着替えちゃうと良いわ」
「はーい」

オーナーの脇をすり抜け、長靴からスニーカーへと履き替え、鞄の中から仕事着を取り出していると明るい声が店内に響いた。

「おはようございまーす!」
「おはよう、今日も元気ねー」
「あ、國本さん。おはようございます」
「おはよう、さん。びしょ濡れじゃん!」
「はい、今から着替えるところですよ」
「あ、そうなんだ。風邪ひいちゃうもんね。着替え手伝ってあげようか?」
「セクハラで訴えますよ」

にやっと意地の悪い笑みを浮かべた國本には呆れ声で返す。
ははっと笑った國本は、鞄の中からタオルを取り出すとほどでは無かった濡れた服を拭き始めた。

「嘘だって、あっちで準備してるから気にせず着替えていーよ」
「そうします」
「あっ」
「ん?どうかしました?」
「これこれ、昨日預かってたんだよね、さんにって」
「え、私にですか?」

鞄の中から取り出した封筒をに差し出し、國本は記憶を探りながら言葉を続ける。

「えっと、女子高生だよ。あの制服は帝丹だったかな。眼鏡の男の子と一緒に来てて・・・」
「あ、あの二人」

思い当たる二人が容易に想像出来ては封筒を受け取る。

さんに用事だったみたいだけど、休みだよーって伝えたらこれ渡してて欲しいって言われて預かっといた」
「そうなんですか・・・中、見てませんよね?」
「え、そんなに信用無い?」
「冗談です。有難う御座います」
「どーいたしまして!じゃあ、準備してきまーす」
「あ、國本さん」
「はい?」
「今日の配達、この天気だしちょっと早めに出たいと思ってるから」
「ああ、そうですね。了解でーす」

言いながら國本は立ち去り、姿を消した。
その様子を確認して、は封筒を鞄へと仕舞い込み手早く着替えを済ませた。
チラリと視線の隅に写った外の景色は相変わらず薄暗く、今日は客足が途絶えるなとは溜息を吐いた。



***



帰り道、は片手には傘、片手には携帯で叫んでいた。
激しい雨が傘を打ち付け、普通に喋っていたのではとても会話にならなかったのだ。

「だから!今日はこんな天気だし来なくて良いってば!――迷惑じゃなくて、風邪ひいちゃうでしょ!傘あっても意味無い様な天気だし今度で良いから!――え?嘘でしょ?――何で寄りにも寄って今日なの!――ううん、もう良いよ!出来るだけ早く帰るし、濡れない場所に居て!――うん、大丈夫!じゃあね!」

携帯をポケットに仕舞い、は大きく息を吐いた。
電話の相手は、こんな雨の日なのに会いに来ると聞かない少年、黒羽快斗だった。
態々こんな天気の日に外出する必要は無いとは断ったのだが、彼は既にの家の前に居るのだと答え、は愕然とした。

「こんな天気悪いのに!家で大人しくしてなさいよ!」

もう!と頬を膨らませ、は歩く速度を速めた。
朝と同様に肩はびしょ濡れで、家に帰ったら着替えねばならないだろうと気分が沈んだ。

「快斗君!」
「お、おかえり、さん」
「ただいま。すぐに鍵開けるから・・・」
「ん、お願いします」

エレベーターを降りてすぐ、目に付いた快斗の姿に声を掛ける。
直ぐに部屋に快斗を招き入れ、は浴室からタオルを持ってくると濡れた服や髪から水分を拭き取った。

さん大丈夫?」
「え?ああ、大丈夫だよ。朝もこんな感じだったんだよね」
「シャワー浴びてきたら?」
「いや、快斗君来てるし、夕飯の支度しなきゃだから」
「・・・俺が作ってやるよ!」
「は?」
「夕飯、俺が作るって!」

任せろと言わんばかりの快斗の顏にはどうしたものかと迷う。

「あ、もしかして料理の腕の心配?大丈夫だって、俺こう見えても得意だぜ」
「・・・じゃあ、お願いしようかな」
「ん!安心してシャワー浴びて来なって!」

満面の笑みに見送られ、は浴室へと着替えを持って移動した。
ドンッと低い音が響き、は窓の外へと視線を向けた。雨だけでなく雷も来たようだ。

「快斗君の手料理かー」

まさか自分があの黒羽快斗の手料理を食べれる日が来るとは思わなかったものだと、は不思議な気持ちで髪に付いた泡を洗い流す。

「何作ってくれるんだろう」

男の料理!と言うようなものなのか、それとも一般的な家庭料理なのか、それとも本格的なコース料理のような品でも作り出すのか、は楽しみで仕方なかった。
トリートメントも終え、体の余分な水分を落とした所で、扉を開け、バスタオルへと手を伸ばした。

「・・・、嘘だ・・・」

ピシャリと扉を閉め、タオルで髪の水気を取りながら考える。

(今のは、絶対に・・・)

一度、深呼吸をして、今度はそっと扉を開けた。
先程目にした場所には何も無い。そこから視線を移動させ、はピシリと固まった。

「居る・・・」

の着替えのすぐ近くに其れは居た。
長い触覚に平べったい体、黒光りするその姿、間違いなくゴキブリだ。

「・・・最悪だ」

は現実逃避したい気持ちを必死に抑え、殺虫剤の場所を思い出す。
体にタオルを巻き付け、ヤツを刺激しないようにそっと、そっと扉を開く。浴室からゆっくりと抜け出し、今度は出来るだけ早足でリビングへ向かった。
カチャカチャと物音のするリビングは、快斗が料理をしている証拠だった。
は、物陰に隠れ声を掛ける。

「快斗くーん」
「はーい」
「こっち見ないでねー」
「はーい」

快斗の返事を確認して、こそこそとは殺虫剤を見つけ出しサッと握り締めた。

(覚悟しろ!)

「・・・え?」

の強い決意と対極するように、間抜けな声が耳に届く。

「快斗君・・・」

カチリと交じり合った視線にお互い動きを止める。

「え、さん!な、なにやって!」
「見ないでって言ったでしょ」
「えぇ!すみませんっ!でも、なにやって!てか、何考えてんだよ!」
「・・・何も君が思ってるようなことは考えてないと思うけど」
「俺がって!いや!俺は何もその、変なことは!全然!マジで!」
「あのね、ゴキブリが出たから殺虫剤、取りに来ただけ。着替えの近くに居るから着替えも出来なかったんだよ、それだけだって」

しどろもどろする快斗に対して、は至って冷静だった。
にとっては素っ裸を見られた訳でも無いし、タオルだってしっかり巻いている。
実際に見えている部分なんて肩と膝から下くらいで大した問題では無かった。
それでも一応は相手は男。気を遣っておいたのに、何故こっちを見たのだと人の気遣いを無駄にしやがってと内心溜息だ。
それに、嘘でも本当でも、彼が喋る言葉がどんどん墓穴を掘っている。ポーカーフェイスを忘れるな、そう言ってやりたい。

「ま、見られたし、丁度良いや」
「丁度良いって!何言って!そんな簡単に女が丁度良いとか言っちゃダメでしょう!」
「快斗君落ち着きなよ・・・ゴキブリ、平気?」
「え、・・・平気ですけど、それが何か」
「じゃあ・・・」

は一歩、また一歩と快斗に歩み寄る。
それと同時に快斗も後ずさるが、ついにシンクに背が当たりゴクリと息を飲んだ。
遠くで雷の落ちた音が響く。

「はい、これ宜しく」
「いや、宜しくって、まだ俺等付き合っても無いし、それに・・・え?」
「快斗君・・・本当に大丈夫?焦り過ぎだよ。――それで、ゴキブリをやっつけてきて」
「あ・・・、ゴキブリ・・・あ、はい、行ってきます」
「うん、お願いします」

殺虫剤を受け取った快斗は、漸く落ち着いた様で、状況を把握するとすごすごと浴室へ向かった。
その様子を見送って、は曖昧な笑みを浮かべた。

(付き合っても無いし・・・か)

火にかけられた鍋を見て、念の為にかき混ぜておく。
その際、の鼻を食欲をそそる良い香りが霞める。
やはり、彼の料理に期待したのは間違いでは無かったようだ。

「やっつけました。新聞紙あります?」
「あ、うん、そこに」
「あと回収だけなんで、もう大丈夫ですよ」
「ありがとう、本当に助かった!」
「いえいえ、お役に立てて何より」
「料理も美味しそうだね、お腹空いた!」

快斗の後に続き、も浴室へ向かった。
快斗が新聞紙に包んだ其れを持って浴室を出ると、入れ替わってが立ち入った。



***


「着替え完了でーす」
「夕飯もタイミング良く出来たところですよ」
「おお!良いね、良いね!」
「どうぞ、座ってください」
「すごーい!スープは見てたけど、こんなのまで作ってたの?」
「スープだけじゃ幾らなんも寂しいでしょ」
「快斗君って器用だねー、なんでも出来るね」
「そうでも無いですって」

照れを隠す様に笑って、快斗も席に着く。
二人で揃って手を合わせたところで、夕飯だ。

「んっ、美味しい!コンソメだよね、これ」
「ええ、そうですよ」
「他に何か入れてる?」
「そうですね、他には・・・」
「快斗君」
「はい?」

はスプーンを置くと、じっと快斗を見詰めた。
不思議そうに見詰め返す快斗を、は尚も見詰める。
ついに耐え切れずに快斗が視線を反らし、は口を開いた。

「何で敬語に戻ってるの?」
「いや、それは、その・・・」
「なんで?」
「・・・ポーカーフェイスを保つために」
「え?」
「ちょっとさっき動揺し過ぎてしまって、快斗で居ると墓穴掘るばっかりだから!」
「え、もしかして今はキッドなの?」
「いや、そこまでじゃないけど、それに近い部分ではあるかも」
「・・・何それー!そんなことしなくても良いって!」

妙に耳に付く彼の敬語だったが、まさかの理由には耐え切れずに笑った。

「つーか、さんも少しは気にするべきだろ」
「気にするって言っても、裸見られた訳じゃ無いからさ」
「・・・流石、クールなさん。御見それしました」
「私は快斗君のあんなに慌てふためく姿は初めてだったから、逆にラッキーだったかも」
「それ言うんだったら、俺だってさんのあーんな姿見れたからラッキーだろ」
「快斗君が言うと危ない雰囲気出ちゃうねー」
「なっ!さんが言い出したんだろ!」
「ははっ、そうだねー!ごめん、ごめん。さぁ、敬語も抜けたみたいだし食べちゃおうよ」
「・・・そうっすね」

ぶすっと口をへの字に曲げた快斗だったが、はにこにこと上機嫌で食事を再開させた。



***



「そう言えば、快斗君、今日は何か用事あったの?」
「え?」
「だって、いつもはこんな強引に来ないでしょ。それなのに態々来たってことは何かあったんじゃないの?」
「ああ、用事って訳じゃなくて、万が一の為に」
「万が一?」
「そう、ほら今日は予想で雷って言ってたから、もしかし」

快斗の言葉を遮るようにドーンと激しい鳴り響き、辺りが突然暗くなった。

「え・・・、停電?」
「まぁ、こうなるかもしれないと予想して来たんだ」
「こうなるって」
「停電」
「・・・態々それだけの為に?」

突然の暗闇の中でも、二人は落ち着いていた。
会話を続ける二人以外の音は外からの激しい豪雨だけだ。

「女の人って雷苦手だったり、暗いのダメだったりするだろ」
「ああ、そうだね。結構多いみたい」
「だから、って思ってたんだけど、さんは・・・流石ってことだな」
「ごめんね、気にしてもらったのに平然としてて」
「いや、良いけどね。逆に安心したし、今後は大丈夫って分かった訳だから」
「ダメだったら毎回来てくれるつもりだったの?」
「・・・まぁ、必要とあれば?」
「・・・やっさしーな、快斗君!女の子にもてもてでしょ」

その声にニヤニヤと笑っているであろうが易々と想像出来、快斗は暗闇での仕事で鍛えたその視力での腕を簡単に掴んでみせる。

「快斗君?」

不思議そうに快斗を見詰めているのだろう。
快斗は、態と声を低くして、静かなトーンで囁く。

「誰にでもこんなことしねーよ」
「・・・っ」
「そこは知ってて欲しいね」
「・・・お、おう・・・そ、そ、そうだね!すまないね!迷惑をかけてしまって!こんなどこの誰かも分からぬ人間を、ここまで構ってくれて本当にありがとう!すまない!早く一人でやっていけるように頑張る!頑張るから!本当に、うん!」

絶対に分かって無い、そう快斗は確信した。
刺激が強過ぎたのだろうかと、腕を離してやり静かに溜息を吐く。
さっきまでタオル一枚の姿を見られて平気だった人間とは思えなかった。

さんってよく分かんねー」
「よく言われます」
「でも、そう言う人だから興味沸くんだよな」
「え、そうなの?」

楽しそうな声には不思議そうに返す。

「そりゃ、何もかも分かってたらつまんねーだろ」
「確かに」
「だから、そうやって予想外の行動とかされた方が面白かったりする訳、俺は」
「ふーん、快斗君も不思議だねー」
「似た者同士ってことで」
「あ!」
「ん?どうした?」
「あ、いやちょっと思い出したんだけど、手紙か何か貰ったんだよね」
「手紙?男から?」
「いいや、女の子」

は朝に受け取った封筒の存在をふっと思い出したのだ。
暗闇に慣れてきた目で、確か近くにあったはずだと鞄を手探りで探す。

「あった、あった」
「流石に、字は読めないっしょ」
「携帯で頑張るから」
「今じゃなくても・・・」
「今が暇だから丁度良いじゃん」
「はいはい、どうぞ、俺の携帯で良かったら使ってください」
「ありがとう」

丁寧にの手元を照らす快斗に御礼を言って、は封筒の中身を取り出した。
白い紙に書かれた短い文章に、は目を凝らす。

「何って書いてあるの?」
「んー、御礼と何かのお誘いかな?」
「御礼?」
「ほら、この前のビルの屋上であったでしょ。眼鏡の男の子」
「ああ、あの探偵坊主・・・って、そいつの関係者?」
「うん、あの子と一緒に来てた女の子からなの」
「へぇ・・・、さんもしかして、アイツのことも知ってたりするの?その漫画の知識として」
「・・・お、鋭い」
「マジかよ・・・言ってくれりゃ良いのに」
「出来るだけ聞かれない限りは言わないようにしてるんだよ、本来知ってるべきことじゃないからね」
「・・・それで、そのお誘いは?」
「うーん、ミラクルランド・・・って書いてあるけど」
「あー、そこ!この前テレビでCMやってたやつ。一緒に行こうって言ってたヤツだよ」
「ああ、あの絶叫マシーンがって言ってたやつ?」
「そうそう、そこ――でも、お誘いってことは一緒には無理か」
「え、でも先に誘ってくれたのは快斗君だから」
「けど、それタダでってことなら行かない理由も無いだろ」
「・・・うーん」

幾ら無料だと言われても、にとっては快斗との約束も譲れなかった。
その時、そこら中から機械音が鳴り出し、同時に部屋に明かりが戻った。

「お、復活した」
「良かった、思ったより早かったね。あ、メアドと電話番号書いてある」
「じゃあ、色々と聞いてみて、もし俺も行っても大丈夫なら一緒に行こうぜ」
「うん、それで聞いてみる」

は頷き、手紙に書かれたメールアドレスと電話番号を携帯に登録した。

「よし、じゃあ俺帰るな!」

そう言って立ち上がった快斗に続き、も彼を玄関まで見送った。

「お、止んでんじゃん」
「一日中降ってたのに、快斗君良かったねー」

玄関の扉を開けると、激しい雨音は聞こえなかった。
それに気付いた快斗が空を眺めれば、先程までの雷も嘘かのように綺麗な星空が広がっていた。

「俺の日頃の行いだな」
「そうかもね」
「ちょっ、そこは突っ込んでくれよ!」
「はは、気を付けて帰ってね。家着いたらメールして」
「了解。さんも戸締りしっかりな」
「うん、ありがとう。またねー」
「ん、おやすみ」
「おやすみー」

ばいばいと手を振り、快斗がエレベーター内に姿を消すのを確認したは空を見た。
強い風がの髪を大きく揺らした。





(君と行くことに意味があるんだよ、なんてね)






2013.02.01
やっとここまで!無駄に長くなってしまった。

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